そんな願望は昔からあった。
今もあるけど、その一方で不安を感じてしまうから、「モノ」だけでいるのが怖い。
外からみたら「モノ」にしか見えない状態なのに、本当は中に「ヒト」がいる。
そんな状態の「モノ」で遊ぶのが楽しいんだと彼は言う。
子供が大事なオモチャで遊ぶように、自分の好きなように遊ぶのが楽しいんだって。
哀希にはわからないかもしれないけど、と前置きをされたけどわかるよ。わかる。
自分の意思なんて関係なく、オモチャみたいに遊ばれたいって願望はある。昔からある。
大事に壊さないように・・・でも好き勝手遊ばれるなんてシチュエーションは萌える。
でも、昔より自分を見て貰えない不安を抱えやすくなっている気がする。
中身が「ヒト」である「モノ」なら私じゃなくてもいいんじゃないかって不安を感じてしまう。
前はそんなこと思わなかったのになんでだろうって考えたら、
理由がわかってしまって、私ってしょうもないなと思った。
自信がないのね、結局。
「モノ」として遊ばれたい気持ちと「ヒト」として虐められたい気持ち。
どちらもあって、バランス大事かな、なんて我儘を言ってしまった。(笑)
でもどっちにしても一番好きなのは、
私の苦しそうな反応とか、
酷い事されてるくせに感じてる反応とか、
嫌がりながら結局抗いきれない様子とか、
「モノ」のくせにうるさいなんて理不尽な事言われて身悶えしちゃう様子とか、
そういうの見て楽しんでたり興奮したりするのを感じられること。
顔を隠されるとそういう様子を目にすることができないから、視覚がある方がいいななんて思うけど、
結局そうはいっても恥ずかしくてあんまり見れないんだよね。(笑)
それに、見えなくても楽しそうかどうかは空気感でわかってしまうものだけど。