前の記事からもう7年近くが経とうとしていて驚いています。
歳と共に月日が過ぎるのが早くなりますね。
私は元気にノーマルに生きています。
あ、間違えました。ノーマルの振りして。ですね。(笑)
ここで書いたことはなかったのですが、昔SMショーのモデルをすることが暫くの間ありました。
最後にしたSMはショーの中でした。
そんなショーを見てくれる人、ショーの責め手、その誰もが此処でさらけ出しているような性癖は知りません。
SMという大きな一括りの中で、私にとってさらけ出せるものとさらけ出せないものがわかりやすく分かれていました。
縄や鞭、蝋燭などショーには欠かせない道具達。
SMショーなんて演技だと思う方もいるでしょうが、私は一度も演技などする余裕はありませんでした。
吊りの苦しさも一本鞭の痛みも蝋燭の熱さもすべて本物でしたから。
でも、私にとってこれらは「きれいなSM」なのです。
意味がわからないかたもいるかもしれません、ごめんなさい。
でもこれ以外に表現の仕方がわからないのです。
「きれいなSM」なのでSM好きの方々に見られて恥ずかしいという気持ちはありません。
むしろ選ばれてショーに使って貰えたことは光栄だったし、だからこそ私の全てで応えてきました。
でも、どこまでいっても「きれいなSM」なのです。
吊られて一本鞭で痕が残るほど打たれまくってその上に蝋燭を垂らされて泣いている姿は、
写真に残るその私は、どちらかというと「美しい」のです。(外見の話ではないです。)
私が本当に欲するSMではないから、心をえぐられることもなく、痛みに泣くだけ泣いて称賛をいただいてみてくださった方に感謝してスッキリ終わり、なんです。
完全拘束とか呼吸制御とか、それで冷静さを失った自分とか、落書きされて悲しくも悦んでいる自分とか、絶対知られたくないのです。
ショーを見ている人は皆SMが好きな人達なのに。
変態である筈の皆さんであっても「変態」と引かれそうで、笑われそうで、どこにもさらけ出せないのです。
私は毎日仕事が終わったら、おうちでお酒を飲んで寝落ちするような生活をしているのですが(笑)
昨夜は全然眠れなくて、久々に哀希のアカウントでTwitterを開きました。
あぁ、もうSMすることなんてないのかなぁ。したいなぁ。
でも誰でもいいわけじゃない。
それに、ショーに出てるM女ってくどかれないんですよ。
プロに縛られてるから。目が肥えてるから。
S男性って元来自信のない生き物なので、(ごめんなさい)怖くて手出せないんですって。
正直自分でもまぁそこそこやっかいな性癖と心を持ち合わせていることは理解していますし。
ただのメンヘラとかだった方がきっとずっと扱いやすかったんじゃないかな。
プライドが高く、なのに自己肯定ができず、仕事では自信を持ててもプライベートでは全然自信が持てず、
鎧の纏い方が結構えげつないみたいです。
仕事に対して自信を持てるのはできないことに対して努力することができるからだと思っています。
苦手だったり出来ないと思っても出来るようになりたいと思えば努力をして出来るようにしてきたからです。
「頑張り屋さん」そんなかわいらしいものではないですがよく言われます。
ただの「負けず嫌い」が正解なんですが。
努力すれば結果がついてくることの方が多いのが仕事。
プライベートとなるとそう簡単にはいきません。
自分の顔が好きじゃない、体が好きじゃない、声も好きじゃない。好きじゃないところだらけです。
「好きになる努力」をしてみなさい、なんて詭弁じゃないかとすら思います。
そんなこんなで鎧をがっつり纏い続けている私。
結果、プライベートでSMはしないまま数年が経ち今に至ります。
ひっさびさに開いたTwitterのプロフィールに、とりあえず「パートナー募集中」の一言を追記してみる。
こんなんで何か変わるはずなんてないんですけどね。まぁ、気持ちの問題なわけで。
かつてのパートナーも別の女性と遊ぶようになっていましたし、私だってみたいな気持ちも少しだけあったりして。
リツイート等で流れてくる画像や動画の数々を見ながら眠気はもちろん来るはずがなく。
眠れないまま明け方になり、空も明るくなり始めた頃。
結局我慢できずにストレッチフィルムとバイブを取り出し一人遊び。
終わった後物凄く虚しいのであまりしたくないんだけど・・・。
疲れ果ててやっと眠って起きると一通のDMが。
まさかもう募集の一言で誰かがメッセージくれたの?!
メッセージを開くとまさかのこのブログで散々責め手として登場していたかつてのパートナーでした。
遠距離ということもあって、最後の約束が仕事の都合でドタキャンになってからほぼ自然消滅状態でした。
向こうには家庭もあり、私は独身で結婚はあまり興味がないものの、彼氏は欲しい身でした。
なるべくしてこうなってしまっていたのだと思います。
「なるべくして」という言葉は今日のこの日にも当てはまるのかもしれない。
これから先、まだわからないけど、もしかしたらまたコンスタントにこのブログを更新する日が来るかも、しれません。
歳と共に月日が過ぎるのが早くなりますね。
私は元気にノーマルに生きています。
あ、間違えました。ノーマルの振りして。ですね。(笑)
ここで書いたことはなかったのですが、昔SMショーのモデルをすることが暫くの間ありました。
最後にしたSMはショーの中でした。
そんなショーを見てくれる人、ショーの責め手、その誰もが此処でさらけ出しているような性癖は知りません。
SMという大きな一括りの中で、私にとってさらけ出せるものとさらけ出せないものがわかりやすく分かれていました。
縄や鞭、蝋燭などショーには欠かせない道具達。
SMショーなんて演技だと思う方もいるでしょうが、私は一度も演技などする余裕はありませんでした。
吊りの苦しさも一本鞭の痛みも蝋燭の熱さもすべて本物でしたから。
でも、私にとってこれらは「きれいなSM」なのです。
意味がわからないかたもいるかもしれません、ごめんなさい。
でもこれ以外に表現の仕方がわからないのです。
「きれいなSM」なのでSM好きの方々に見られて恥ずかしいという気持ちはありません。
むしろ選ばれてショーに使って貰えたことは光栄だったし、だからこそ私の全てで応えてきました。
でも、どこまでいっても「きれいなSM」なのです。
吊られて一本鞭で痕が残るほど打たれまくってその上に蝋燭を垂らされて泣いている姿は、
写真に残るその私は、どちらかというと「美しい」のです。(外見の話ではないです。)
私が本当に欲するSMではないから、心をえぐられることもなく、痛みに泣くだけ泣いて称賛をいただいてみてくださった方に感謝してスッキリ終わり、なんです。
完全拘束とか呼吸制御とか、それで冷静さを失った自分とか、落書きされて悲しくも悦んでいる自分とか、絶対知られたくないのです。
ショーを見ている人は皆SMが好きな人達なのに。
変態である筈の皆さんであっても「変態」と引かれそうで、笑われそうで、どこにもさらけ出せないのです。
私は毎日仕事が終わったら、おうちでお酒を飲んで寝落ちするような生活をしているのですが(笑)
昨夜は全然眠れなくて、久々に哀希のアカウントでTwitterを開きました。
あぁ、もうSMすることなんてないのかなぁ。したいなぁ。
でも誰でもいいわけじゃない。
それに、ショーに出てるM女ってくどかれないんですよ。
プロに縛られてるから。目が肥えてるから。
S男性って元来自信のない生き物なので、(ごめんなさい)怖くて手出せないんですって。
正直自分でもまぁそこそこやっかいな性癖と心を持ち合わせていることは理解していますし。
ただのメンヘラとかだった方がきっとずっと扱いやすかったんじゃないかな。
プライドが高く、なのに自己肯定ができず、仕事では自信を持ててもプライベートでは全然自信が持てず、
鎧の纏い方が結構えげつないみたいです。
仕事に対して自信を持てるのはできないことに対して努力することができるからだと思っています。
苦手だったり出来ないと思っても出来るようになりたいと思えば努力をして出来るようにしてきたからです。
「頑張り屋さん」そんなかわいらしいものではないですがよく言われます。
ただの「負けず嫌い」が正解なんですが。
努力すれば結果がついてくることの方が多いのが仕事。
プライベートとなるとそう簡単にはいきません。
自分の顔が好きじゃない、体が好きじゃない、声も好きじゃない。好きじゃないところだらけです。
「好きになる努力」をしてみなさい、なんて詭弁じゃないかとすら思います。
そんなこんなで鎧をがっつり纏い続けている私。
結果、プライベートでSMはしないまま数年が経ち今に至ります。
ひっさびさに開いたTwitterのプロフィールに、とりあえず「パートナー募集中」の一言を追記してみる。
こんなんで何か変わるはずなんてないんですけどね。まぁ、気持ちの問題なわけで。
かつてのパートナーも別の女性と遊ぶようになっていましたし、私だってみたいな気持ちも少しだけあったりして。
リツイート等で流れてくる画像や動画の数々を見ながら眠気はもちろん来るはずがなく。
眠れないまま明け方になり、空も明るくなり始めた頃。
結局我慢できずにストレッチフィルムとバイブを取り出し一人遊び。
終わった後物凄く虚しいのであまりしたくないんだけど・・・。
疲れ果ててやっと眠って起きると一通のDMが。
まさかもう募集の一言で誰かがメッセージくれたの?!
メッセージを開くとまさかのこのブログで散々責め手として登場していたかつてのパートナーでした。
遠距離ということもあって、最後の約束が仕事の都合でドタキャンになってからほぼ自然消滅状態でした。
向こうには家庭もあり、私は独身で結婚はあまり興味がないものの、彼氏は欲しい身でした。
なるべくしてこうなってしまっていたのだと思います。
「なるべくして」という言葉は今日のこの日にも当てはまるのかもしれない。
これから先、まだわからないけど、もしかしたらまたコンスタントにこのブログを更新する日が来るかも、しれません。
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